とある合気道の修行者ブログ

ようこそ!合気道のあれこれについて気ままにつぶやくブログになっています.ゆっくり見ていってください

カント哲学と合気道④ - 合気道の真髄と批判哲学 -

こんにちは!

 

今回もカントの哲学と合気道の組み合わせでお話していきます!

 

いよいよ合気道とカント哲学との関連について考えていきたいと思います.

 

これまではカントの批判哲学について説明してきました.

批判哲学について少し振り返ってみましょう.

 

・批判哲学の復習

1.経験論

自分の目で見たこと以外は信じないという考え方.

例:自分は宇宙に行ったことがないので,宇宙というのはもしかしたらないかもしれない.

(批判)いやいや,経験していないことなんだからわからないでしょ!!

 

2.合理論

自分の頭で考えたことしか信じないという考え方

例:自分はどこか別の世界の人間に操られているかもしれない

(批判)いやいや,もしその考え方間違っていたとしたらただの空想でしかないよ!!

 

カントのいう「批判」とは相手の言うことを否定するということではありません.「理性の能力の限界について徹底的に吟味すること」を意味します.

そして理性とは次の2つのことを指していました.

1.理論理性:

認識能力.いわゆる普通の理性のことを指す.

2.実践理性:

いいことを実践しようとする意思能力.

 

また人間には「理性(悟性)」の他に「感覚」というものも持ち合わせています.感覚とは「ものをみたり聞いたりして素材を外から受け取ること」を意味します.悟性(理性)とは「受け取った素材を整理して解釈する能力」を意味します.

 

カント以前では,対象物が目の前にあった時,それを見ることによって私たちは認識しているのだと考えられていました(「認識が対象に従う」).

一方カントの場合では,これとは180°違う考え方をしました(コペルニクス的転回).

カントは,感性(いわゆる直感でイメージを空間的・時間的に受け取る力のこと)によって対象を見たのち悟性(理性)を働かせ,自分の悟性の箱(つまり純粋理性)から探していると考えました.この悟性の箱は生まれながらにして人が持っているものです(「対象が認識に従う」)

 

 

合気道をカント哲学で考察してみる

カントの哲学を学ぶ中で,批判哲学は合気道と相性が良いのではないかと考えました.合気道ではまさに実践理性を追求しているのではないでしょうか.

少なくとも合気道をしているときに,なにか打算的な動機があって技をしていることはありませんよね.合気道は相手を傷つけずに倒す,「気を合いする」ということですから究極的には実践理性の実行と捉えることができます.

 

ということは,批判哲学の考え方は合気道の哲学にも導入できるのではないかと考えたわけです.

 

・対象が認識に従う

さて,合気道で理性と悟性を働かせた場合どのような動きになるのかについて考えてみましょう!

 

私たちは相手と対峙した場合,自分の目で相手を確認しそこに相手がいることを認識します.つまりカントの哲学と照らし合わせてみると,私たちは目で見て相手がいることを認識したと思っています.

しかし,皆さんはこんな体験をしたことはないでしょうか.

 

実際にはそんなに強い相手ではないが,見た目が強そうだったから身体が強張ってしまい思うように技がかからなかった

 

さて,こんな体験をしたときに皆さんはどう考えたのでしょうか?

 

私たちには,個人差はありますがこんな見た目は強い人だという固定概念があります.もし目の前の人が自分が強いと思う見た目をしていた場合,私たちは勝手に「この人は強い」と思い込んでしまいます.

 

すなわち,直感によって対象を見たのち悟性(理性)を働かせ,自分の悟性の箱(つまり純粋理性)から探しているのです.そしてこの悟性の箱から,相手が強いと感じる時の特徴を引っ張り出し,相手が強いと思い込みます.

 

 

ということは,相手に対する認識というのは変えられるということになるのではないでしょうか.実際私も全く同じ技をしているのに,技がかかる時とかからない時があるのを体感しています.かからない時というのは大抵,「うーーん,今回はかからなさそうだな...」とか「どうしてかからないのかなぁ...」などと思い悩んでいる時です.勝手に自分でかからないという認識になってしまっているのでしょう.

 

私の通う道場では,師範がよく「相手に持たれたときはそれ以外の場所に意識を向けなさい」とおっしゃっています.これは手を持たれたことに対して強く意識しすぎてしまうと技が硬くなってしまうからなのではないかと考えています.

 

開祖:植芝盛平翁先生のお言葉を拝見していると「意識」をどう捉えるかといったことに多く言及されているように感じます.

 

多宝仏塔は自己の中に建てるよう.聖地や寺に建てるだけではなく,各位の中に建てることである.その日の来るのを待っている.そして”身変(みかえる)”,すなわちどんな形にも身を変えて衆生を済度する観世音菩薩,景勝如来のようになっていただきたい.と同時に日本が多宝仏塔としてあるべきであろう.

 

この言葉からも,意識の持ちようによって合気道というのは究極の奥義を手に入れられるかが変わってくるのではないかと思います.

 

 

さていかがだったでしょうか.これまでカントの哲学をみてきました.一旦ここでカントの哲学と合気道は締め括ろうと思います.

 

カントは人の感性に着目して,今日でも共感できる凄まじい哲学を生み出しました.確かに,私たちは一旦こうだ!と思い込んでしまうとなかなか抜け出せなくなってしまいます.カント自信がどう思っていたのかは分かりませんが,思い込みに対する警告というものがあったのかもしれません.

 

植芝盛平翁先生は「合気道とは愛の現れである」とおっしゃいました.まさに善の道を極めると,愛を気する「合気」につながるのではないか.私はそう思いました.

 

かなり興味深い考察ができたので,私としては結構満足しています.みなさんはどう感じられたでしょうか?

ぜひ皆さんなりの合気道哲学を極めてもらえればと願っています!

 

ではでは.今回はここらへんでお暇いたします.

カント哲学と合気道③ - 純粋理性批判 -

こんにちは!

 

今回もカントの哲学と合気道の組み合わせでお話していきます!

 

前回はカントの批判哲学を見ていきましたが,今回は純粋理性批判というものを解説していきます.

 

ただ,純粋理性批判を完全に読み解くのは非常に難しいため,概要についてさらっと解説したいと思います!

 

さて,まずタイトルにもなっているのですが,そもそも純粋理性批判とは何なんでしょうか.

まず大事なのは,批判の意味を押さえておく必要があります.批判というとみなさんは「相手の良くない部分について糾弾すること」という意味だと思われると思います.しかしここでいう批判とは,「理性の能力の限界について徹底的に吟味すること」を意味します.これは重要なのでしっかり押さえてもらえると今後の話が読みやすくなります.

 

純粋理性については,人間のできる経験から学んでいない純粋な気持ちで物事を判断することを意味しています.

 

では純粋理性批判の中心課題とは一体何なのでしょうか.

 

 

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ここでは例を挙げてみます.あなたと数人が一輪の赤いチューリップの花を見ているとしましょう.この時全員に共通している認識としては文字通り「赤いチューリップ」が咲いているということです.これに対して疑いを持つ人はいないでしょう(これは青いカーネーションだ!とかは思わないですよね).

ではこの「赤いチューリップ」をどうとらえるかとなると人によって変わります.ある人は「綺麗で美しい」と感じるかもしれませんし,ある人は「もうすぐ枯れそうだな」と感じるかもしれません.

全員が共通している認識というのはどうやら一定の法則があるのではないかということがわかります.これを「共有できる領域」と言います.

 

純粋理性批判は,どのような知識であれば共有できるかということについて考えていきます.

 

 

純粋理性批判の課題

では細かく分けると純粋理性批判はどのような課題があるのでしょうか.カントは次の3つについて議論しました.

1.科学が合理的な根拠を持って共有できる根拠とは何か

:どういう風に共有しているのか

2.なぜ人間の理性は究極の心理を求めた結果底無し沼にはまってしまうのか

:考えれば考えるほど深みにはまって抜け出せなくなってしまう

3.善く生きるとはどういうことか

 

今回はこの3つの課題の解を出すというところまではいきませんが(私がそこまで読み切れていないので…笑),この3つの課題にどう切り込んでいけば良いのかということについて説明します.

 

・理論理性と実践理性

カントは人間の理性というものについて考えていました.そして次の2種類に分類できるとしました.

1.理論理性:

認識能力.いわゆる普通の理性のことを指す.

2.実践理性:

いいことを実践しようとする道徳的な意思能力.

 

この理論理性と実践理性を合わせて『観念論』と言い,カントは観念論について徹底的に考察していきました.

 

実践理性については前回ご説明しています.

カントは『道徳法則』という人間が従うべき道徳の法則について考えました.ここでいう道徳法則とは「実践理性」のことを指しています.

 

  定言命法

「〜せよ」と無条件に善い行いを命じるもの.カントはこの考え方が良いとした.

  仮言命法

「もし〜なら…せよ」という条件付きの命令.カントはこの考え方は純粋な善行ではなく良くないとした.

 

つまり実践理性とは無条件で善い行いをするということを表しています.

 

では理論理性とは何なんでしょうか.

 

人間には「理性(悟性)」の他に「感覚」というものも持ち合わせています.感覚とは「ものをみたり聞いたりして素材を外から受け取ること」を意味します.悟性(理性)とは「受け取った素材を整理して解釈する能力」を意味します.

 

カント以前では,対象物が目の前にあった時,それを見ることによって私たちは認識しているのだと考えられていました.

これを「認識が対象に従う」といいます.

例えば,目の前にチューリップがあった時,チューリップという対照を見ることによって私たちはそれを認識します.

 

一方カントの場合では,これとは180°違う考え方をしました(コペルニクス的転回).

カントは,感性(いわゆる直感でイメージを空間的・時間的に受け取る力のこと)によってチューリップを見たのち,悟性(理性)を働かせます.そしてこの悟性を働かせる際には自分の悟性の箱(つまり純粋理性)から探していると考えました.この悟性の箱は生まれながらにして人が持っているものです(先天的=ア・プリオリ).

今回の場合,悟性の箱から「赤い」と「チューリップ」が引き出され,『赤いチューリップ』と認識することができる.

これを「対象が認識に従う」といいます.

 

つまり悟性をもってしてそれが何かがわからなかった場合,対照を認識することができません.

 

 

これまでをまとめると,人間が認識できるものは感覚の形式がとらえた素材を悟性が判断したもので,物自体を認識したわけではないということになります.我々が認識しうるのは,物自体としての対象ではなく,感性的直感の対象としての物,現象としての物だけなのです.

 

 

さていかがだったでしょうか.今回の内容はかなり難しかったと思います.私もかなり難しかったです笑.

次回は合気道でこの批判哲学や理性の働かせ方というものを応用できないかということについて考えていきたいと思います.次回が本番です!

 

ではでは.今回はここらへんでお暇いたします.

カント哲学と合気道② -カントを知るための「批判哲学」-

こんにちは!

 

今回もカントの哲学と合気道の組み合わせでお話していきます!

 

前回はカントとはどのような人物を見ていきましたが,今回は特にカント哲学を理解するための肝となる批判哲学というものを解説していきます.

 

 

・批判哲学とは何か

カントは『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』という3大批判書を書きましたが,ここで注目してもらいたいのが全てのタイトルに「批判」という言葉が入っていることです.これは批判哲学と呼ばれ,次のことを否定する内容です.

1.経験論:

自分の目で見たこと以外は信じないという考え方.

例:自分は宇宙に行ったことがないので,宇宙というのはもしかしたらないかもしれない.

(批判)いやいや,経験していないことなんだからわからないでしょ!!

 

2.合理論:

自分の頭で考えたことしか信じないという考え方

例:自分はどこか別の世界の人間に操られているかもしれない

(批判)いやいや,もしその考え方間違っていたとしたらただの空想でしかないよ!!

 

つまり経験論だけ,合理論だけで考えるというのは不完全なのではないかと考えました.

 

 

・人間の理性について

カントは人間の理性というものについて考えていました.そして次の2種類に分類できるとしました.

 

1.理論理性:

認識能力.いわゆる普通の理性のことを指す.

2.実践理性:

いいことを実践しようとする意思能力.

 

※ただし物体の背後にあるもの(物自体)は認識の外側にあります.例えば,神,お化け,魂などは認識の外側にあります.

 

 

カントというのはとても真面目な哲学者です.理性とは何か,善とは何かということについてとにかく徹底的に考えました.

 

・どのように生きるべきなのか

次に,カントは『道徳法則』という人間が従うべき道徳の法則について考えました.ここでいう道徳法則とは「実践理性」のことを指しています.

 

定言命法

「〜せよ」と無条件に善い行いを命じるもの.カントはこの考え方が良いとした.

仮言命法

「もし〜なら…せよ」という条件付きの命令.カントはこの考え方は純粋な善行ではなく良くないとした.

 

さて難しい言葉が出てきてよくわからなくなってきたと思うので例をあげてみましょう!

 

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※めっちゃどうでもいいことですがこの女の子が元カノさんに似ていて複雑な気分です...笑.

 

 

あなたは学生です.ある雨の降っている日,校舎の玄関口で可愛い女の子が立っています.あなたはその子のことが好きです.どうやら女の子は傘を忘れたようで困っています.あなたは2本傘を持っていたのでその子に貸してあげました.

 

というシチュエーションがあったとしましょう.あなたは傘を女の子に貸してあげたので善行をしました.

 

しかし!カントに言わせるとこれは良くない善行になってしまいます.なぜなら,あなたはその子に好意を持ってもらいたくて傘を貸したからです.「女の子が自分に好意を持ってくれるならば傘を貸してあげよう」という定言命法が成立します.

 

カントが超真面目であると言った理由がお分かりになったことでしょう.カントは善行として評価されるのは「善意志」つまり純粋な善の意志に導かれた場合のみ良いとしたのです.

 

このカントの真面目ぶりを現した有名な言葉があります.

 

「汝の意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当しうるよう行為せよ」

 

「格率」というのは自分の中で定めたルールのことです.「普遍的立法の原理」としてというのは絶対正しいことを指します.

 

簡単にいうと「自分の中のルールは誰に言っても恥ずかしくないようにしましょう」ということになります!

 

例えば「お店に売っているものは盗んでもよい」という自分の定めたルールというのがあったとしたらどうでしょうか.明らかにおかしなルールですよね.

 

 

・カントの目指した世界とは

カントの理想が目指した世界は「目的の国」というものでした.文字で見ただけだと何じゃそりゃって感じですよね.

 

「すべての人がお互いの人格を目的として扱い,手段として扱ってはならない」

 

カントは人格というものがどんなものよりも大切であるとしました.

さてこれはどういうことなのでしょうか.

 

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例えばあなたは誰かと結婚したいと思っているとしましょう.その人はイケメンで壮麗で地位も財産もあったとします.多くの魅力を備えています.

 

しかしあなたは純粋にその人が好きで結婚したいと思ったでしょうか.実際には地位も財産というものがほしくて結婚したいと考えたのではないでしょうか(あくまでこれは例として話しているのでご了承くださいね!笑).

 

もしあなたが地位も財産目当てで結婚したいと考えた場合,その人の人格は手段として用いられたことになります.

 

人格を目的としている場合は,この人の地位や財産が失われたとしても純粋に愛することができるということです.

 

 

さていかがだったでしょうか.カントの批判哲学について簡単に見てきました.カントの批判絵哲学というのはとにかくカントの真面目さから生まれ,善い行いというのは何かということについて徹底的に考えた結果できました.

 

次回はいよいよ純粋理性批判に入っていきたいと思います!

 

ではでは.今回はここらへんでお暇いたします.

カント哲学と合気道① -カントとはどんな哲学者か-

こんにちは!

 

今回はカントの哲学と合気道の組み合わせでお話したいと思います!

 

哲学と合気道というのは結構相性がいいですね!似たような考え方があったりします.

 

でも意外と哲学との組み合わせというのが少ない…(というよりは合気道哲学という独自路線で語られることが多い)

 

合気道哲学というのは開祖:植芝盛平(うえしば もりへい)翁先生の口伝を弟子たちが取りまとめたものになっています.

私の道場では,高岡貞雄先生が研究された『道文』を合気道哲学(特に精神哲学)としています.

 

ただ,合気道哲学というのは読み解くのが難しい部分があり,私は東洋・西洋問わず哲学をしっかりと勉強する必要があるのではないかと考えました.

 

例えば『道文』は古事記の世界観が盛り込まれているので古事記を勉強しました.しかしそれでも理解が難しいものがありました.

 

ということで次は西洋哲学に目を向けてみました!まずはカントから行きたいと思います!

 

まずはカントとはどんな哲学者であるかということをご説明いたします.哲学者の考え方を知るためには,その人がどのような人生を歩んだのかということを知るのがとても大切です.

 

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・カントについて

イマヌエル・カント(Immanuel Kant)はドイツ(プロイセン)の哲学者です.父は馬具職人で少年時代から聡明でした.

16祭でケーニヒスベルク大学に入学します.大学では『自然学』を専攻しました.カントは自然学を通して物理学・数学・天文学など幅広く知識を獲得していきました.

46歳でケーニヒスベルク大学の哲学教授に就任します.

カントは気さくで真面目な性格だったようです.哲学者というと部屋でこもって1日中気難しい顔をしていると思われるかもしれませんが,カントは多くの人と交流を持っていました.しかし身体はあまり丈夫ではなかったため,食事はかなり規則正しかったようです.メニューや食事の時間,さらには散歩コースまで同じという徹底ぶりでした.

 

さて,大学教授に就任してからまず「感性界と知性界の形式と原理」という論文を書きましたが,なんとここから10年間も論文を出さない期間がありました(沈黙の10年).が1781年にカントといえばこの本と言える『純粋理性批判』(第一版)を出版しました.

 

純粋理性批判については後ほど解説いたします!

 

1787年に『純粋理性批判』(第二版)を出版,第一版から加筆しました.翌年に『実践理性批判』,1790年に『判断力批判』を出版しました.この3つがカントの3大批判書と呼ばれるものです.沈黙の10年があったかと思えば急に3大批判書が矢継ぎ早に登場するという…なかなかにすごいですね笑.

 

 

まずはカントについてご説明しました!

次はカントの哲学の導入に入っていきましょう!

 

・そこにあるものというのは本当の姿ですか?

今あなたの目の前には一体何がありますか?

家にいたら家具やベッドが見えるでしょうか?オフィスなら机やイス,外なら木やビルや橋が見えたりするでしょうか?

 

当たり前のことを言いますが,これらは今ちゃんと現実に存在しているのものですよね.あなたは五感を通して様々なことを認識したり感じ取っています.

 

 

でもそれって本当にそうなんでしょうか?

 

カントを勉強する中で私はふとこんな疑問を持ちました.例えば色…そうですね,黄色にしましょうか.私が黄色と認識する色と皆さんが黄色と認識する色は同じなのか…と.もしかしたら他の人には私でいう赤っぽい色が黄色と認識されていて,私は違う色を認識しているのかも?

 

なんなんだよいきなり.そんなもの考える意味なんてあるのか?と思われる方もいると思います.

私の大学の哲学の先生が教えてくださったのが「哲学は小難しいことをぶつぶつ考えることだけを指すわけではない.普段の忙しい生活から少し離れ,いつもと違う視点を持って当たり前について考え直してみることが哲学なのだ」ということでした.どんな些細なことでも視点を変えて見るとそれが哲学になる.みなさんも気軽に哲学できるということです!

 

色の話を続けますと,私たちが認識できる色は「可視光線」と言われており.7色を認識します.理科の授業などでプリズムを通して太陽光が7色に分かれる図を見たことがある方もいるでしょう.

しかし実際には色というのは他にもあります.色は光の「波」です.波長が長いと赤っぽい色,波長が短いと青っぽい色になります.この波長が赤色よりももっと長くなると「赤外線」になり,青よりももっと短くなると「紫外線」になります.

皆さんがたき火で温まれるのは赤外線があるからで,太陽光があなたの肌を焼くのは紫外線があるからです.

つまり私たちの認識外にも光の波が存在しているということです.

 

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ではこの地球上にいる生物の中で赤外線を可視光としている生物がいたとしましょう.この生物にとっては赤外線が飛び交う世界こそが自分たちの世界になります.

 

 

いかがだったでしょうか?今回はカントの説明と哲学とはどんな学問であるかについてご説明しました!

次回はカントの『批判哲学』についてご説明いたします!

 

ではでは.今回はここらへんでお暇いたします.

美味いものには匠の技がある!寿司と合気道 -合気道との意外な共通点-

こんにちは!

 

今回は寿司の握り方を通して合気道との共通点を探っていこうと思います!

寿司と合気道という一見すると全然関係なさそうな組み合わせですが,調べてみると意外な共通点が見つかりました!

 

 

私はまだ学生なので一見さんお断りみたいな店にはもちろん入ったことがありませんが,何回か寿司職人が握ったお寿司を食べたことがあります.食べた瞬間の口の中でほろっとシャリが崩れる瞬間・ネタの程よい冷たさと季節の魚の旨味,そして人肌の温かさはもう言葉に表せないですよね.あーー食べたくなってきた笑.

 

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さてさて,私の経験を話していると皆さんがヨダレまみれになってしまうのでまず始めに寿司の握り方を見ていきましょう!

「え?酢飯の上に魚を乗っけるだけなんじゃないの?」と思った方!寿司を握るって複雑な工程があるのです.

 

・寿司の握り方

1.

水と酢を混ぜた液で指先を濡らす.右手で酢飯を取り指先で軽く丸める.

 

2.

左手でネタを持ち,右手の人差し指でワサビをつける.

 

3.

ネタの上に酢飯を乗せ,左手の親指で酢飯をゆっくり押さえる.

 

4.

左手の指を丸めて酢飯の両サイドをキュッとしめる.右手の人差し指で上もキュッとしめ,酢飯を縦長に広げる.

 

5.

右手の中指を酢飯に添えてひっくり返す.右手の親指と中指の腹を使って,ネタの左右を軽く押さえる.

 

6.

圧力をかけないで,優しく包み込む.

 

7.

水平に180度回転させ,再度軽くしめて形を整えたら完成する.

 

とにかく握るのに魂がこもりそうなほど繊細な作業です.まさに職人技なのです.

 

 

寿司の修行については

シャリ炊き3年,合わせ5年,握り一生』と言われています.

下働きは何年も続きます.掃除・皿洗い・雑用の中で店主や先輩たちの技を目で見て盗みます.ネタには様々な種類があり,それに応じて握り方も変えなければなりません.また,寿司店で働くと客の好みなどを瞬時に見抜かなければなりません.臨機応変に対応するためには接客のスキルを上げることも同時に要求されます.

 

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・伝統を受け継ぐ

寿司職人になるということはその店の伝統を弟子が受け継ぐということです.時間をかけて丁寧に経験を積み,四季折々の魚を学び,握り方を変える.何回も何回も何回も繰り返し師匠の元で学んで成長していくわけですね!

 

 

寿司というのは見た目は実に単純な料理です.

酢で炊いた温かいご飯の上に魚を乗せてできあがり.至ってシンプルです.

 

でも皆さんと一緒に見てきたように,実に複雑な工程です.日本の寿司の起源は奈良時代かそれ以前であるとされています.にぎり寿司の誕生は江戸時代です.長い時を経て,寿司は伝統として受け継がれてきました.

 

さて,今回はさらに寿司の握り方についても見ていきましょう!

私の記事では『本手返し』『小手返し』の2種類を載せておきます….おや?小手返しって….

 

□本手返し

:最も伝統的な手法です.右手の指に乗せてから左手で上からかぶせるようにします.

小手返し

:寿司の上にワサビを置いてシャリを乗せ,上から下に転がします.右手に移動させないで左手の中で横に転がします.

 

 

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合気道と寿司

私は合気道において相手の手を掴むのときの強さは寿司を握る時と同じではないかと考えています.寿司はキツく握りすぎるとシャリが崩れてしまいますし,ご飯も硬くなってしまいます.大事なのは,シャリとネタをなじませることです.酢飯と魚という全く異なる食材を融合させるのです.

 

合気道でも同じことが言えるのではないでしょうか?

 

自分の手と相手の手というのは当然ですが異なるものです.合気をするにはこの手同士を通じて調和しなければなりません.ということは強く握りすぎると馴染まず相手が力を入れてきます.自分の手を相手の手になじませること.まさに寿司と合気道に共通するポイントであるといえます.

 

さていかがだったでしょうか?

寿司の握り方と合気道はどちらも繊細な技が求められます.どちらも手というものを通じて異なるものを融合するという共通点を発見することができました!

皆さんも是非,寿司を食べる際にはこの繊細な技というものがあって旨味が出るということを思い出してもらえますと幸いです!

 

ではでは.今回はここらへんでお暇いたします.

合気道で主導権を握れ!!【先の先】 -文字で見る合気道-

こんにちは! 

 

前回は合気道で主導権を握る方法について導入をご説明いたしました!

今回はその中でも『先の先(せんのせん)』を合気道で使う方法について考えていきたいと思います!

 

まず初めに先の先とは次のようなものでした.

 

・先の先(せんのせん)

相手が打ち込んでくるというのを見越して,相手が仕掛けてくる前にこちらから動作を仕掛けていきます.

 

「先」の先ですので,自分から仕掛けていきます.少しでも相手が隙を見せたらすかさず攻撃を仕掛けます.また,先の先でもう1つ重要なのは相手に静かな圧力をかけることです.相手に静かな圧力をかける.そして相手に攻撃ができないようにしてこちらから仕掛ける,いわば先制攻撃です.

 

 

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では合気道において先の先を取るとはいったいどういう事なのでしょうか??

 

合気道は護身術の側面を持っていますので,先制攻撃,例えば顔面パンチとか蹴りを入れることはできません.

 

しかし先の先というのは何も攻撃することだけではありません.

 

私としての考察では,相手に静かな圧力をかけることが合気道の先の先ではないかと思っています.

 

1.静かな圧力をかけることによって相手の動きを封じる

まず重要なことは「相手のペースに持っていかせない」ということです.

ただしこれはかなり難しいですし,私もよくわかっていません笑.でも私の師範は覇気のように相手を一瞬止めるような動きができるため,実際に存在するのだと思います.

 

またこの相手のペースに持っていかせない方法は武道や流派によっても様々です.私の道場では,自分の踏み出す一歩によって相手に圧力をかけて相手の攻撃を封じています.

 

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静かに圧力をかける

 

 

2.攻撃を誘導する

こちらのペースに相手を持っていくことができれば,次は「攻撃の誘導」です.

 

自分が「ここに攻めてきてくれたら受けやすいなあ〜」というところに相手が踏み込んでくれるとかなり有利になりますよね.

 

相手の攻めを利用するためには,まず相手が攻めてくるということを受け入れることです.反発しようとすると身体がこわばります.相手が攻めることは認めなければなりません.

 

でもここで黙って待っていては,せっかくの静かな圧力も役に立ちません.相手がまた体勢を立て直してしまうと意味がないので,その前にこちらから仕掛けていきます.

 

まず相手が圧力で固まっているときに「差し出すような感じで」手を差し伸べます.この瞬間に相手は初めて敵が攻撃したことを認識します.そして慌てて自分の手をつかもうとしてきます.

 

ここで自分はすかさず手をすっと後ろに引き,身体を半円を描くように横に避けます.すると相手は攻撃線から自分が消えることでバランスを崩します.

 

相手がバランスを崩してしまえば,あとは好きな技をかけてあげることで相手は倒れる,というわけです!!

 

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相手の攻撃を誘導する

 

 

圧力によってこちらのペースに持っていき,自分が狙って欲しいところに攻撃を仕掛ける,これが合気道における『先の先』だと考えています.

 

さていかがだったでしょうか.

 

先の先は奥が深く,多くの武道でも取り入れられています.

しかしなかなか自覚もしにくい上に,普段の人間の行動とは違うような動きをするため,身につくまでにはそれなりのトレーニングが必要になるでしょう!

 

皆さんも先の先を捉え,相手を無力化するという奥義を是非極めてくださいね!

 

ではでは.今回はここらへんでお暇いたします.

 

 

好評のため合気道クイズPart2!!むずかしくなりました.

こんにちは!

 

今回は皆さんにまたまた合気道のクイズを出題いたします!

 

前回のクイズがパワーーーーアップして戻ってきました! 

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かなりマニアックなクイズがあるので全問正解は正直厳しいでしょう笑

10問,8問以上で合格です!!

 

満点を取られた方はツイートしていただけると賞状を差し上げます!!

 

 

 

↓↓こちらからクイズに挑戦してみてください!! 

kuizy.net