古事記と合気道の世界 ー合気道の精神世界『道文』ー
こんにちは!
今回は合気道の精神について説明できればと思います!少し調査に時間がかかってしまいました...!!言葉が難解なので,解説まではできません!(できたらもう私は8段クラスです笑).そこだけご了承くださいね!
合気道には『道文』と呼ばれるものがあります.道文とはまさに開祖の合気道の精神世界を凝縮しています.昭和49年2月10日に合気道新聞で掲載されました.
今回はその中の一部分について考えていきたいと思います.
まずはその部分について書いてみます
一霊四魂三元八力の大原則が,一つなる大神の御姿である.大神は一つであり宇宙に満ちて生ける無限大の弥栄の姿である.即ち天なく地なく宇宙もなく大虚空宇宙である.その大虚空に,ある時ポチ一つ忽然として現わる.このポチこそ宇宙万有の根源なのである.....
という始まりでスタートするのですが,どこかで聞いたことがあるような感じがしますよね?そうです.これはまさに古事記の始まりの世界を描いているのです.古事記の最初では天も地もないもやもやとした世界でした.
ほうほう,どうやら道文においてもスタートは古事記な訳ですね.もちろん合気道の精神について書いている訳ですから,どうやらここからも古事記の世界観はかなり重要であるということが読み取れます.
さらに読み進めるとこんな感じです.
高天原というのは,宇宙の姿である.事大の生きた経綸(けいりん)の姿,神つまります経綸の姿なのである.一家族も一個人もそれぞれ高天原であり,そして呼吸して生き生きと生きているのである.
高天原というのは,一口でいえば,全く至大天球成就おわるということになる.これ造化開闢(かいびゃく)の極元なり.高天原の意をより理解して,神の分身分業をなしてゆくところに合気道ができるのである.
ひいーーー難しい笑.でも聞いたことのある単語がいくつか出てきましたね!
高天原というのは神の住まう世界のことでした.宇宙で最初にできたのも高天原です.
「一家族も一個人もそれぞれ高天原である」
ここにはかなり哲学的な要素が盛り込まれているように感じます.
古事記の世界で考えると,人間というのは神様の子孫です.つまり一番初めのルーツとなるのは,神様の先祖の先祖の先祖...つまり高天原にたどり着きます.つまり私たちでも「高天原」を感じるというのは可能ということになるのではないでしょうか(今の自分ではよくわからない境地ではありますが).これが「一家族が高天原である」という一言に集約されているように思うのです.
そして「一個人が高天原である」という部分.これは哲学の1つ「神話的コスモロジー」の考え方に近いと思っています.
※神話的コスモロジーについてはいつか詳しく解説するつもりです.
古代ギリシャのピタゴラス学派は宇宙のことをkosmos(コスモス)と呼称したことから,コスモロジーと呼ばれています.
開祖の「一個人が高天原である」という考え⽅は,宇宙(高天原)をマクロコスモス,⼈間の⾝体をミクロコスモス(⼩宇宙)とした考え⽅に近いです.
例えば地球をマクロ,⼈間の⾝体をミクロとして考えた場合,地球が太陽の周りを公転するのと⾝体の⾎液が⼼臓を中⼼に回っていると考えます.すなわちマクロ(太陽)-ミクロ(⼼臓)とマクロ(地球)-ミクロ(⾎液)として結びつける訳です.
他にも,地球の構成成分の70%が⽔であること,⾝体の70%が⽔であることも⼀致しており,地球に⽯油があるように⾝体には⾎液があるなど,宇宙と⾝体には似たような⽐率があ
ると主張するものです.
このように神話的コスモロジーが⻑年信じられてきたのは,様々な関連性があるからであると思われますが,地球の構成成分からできたタンパク質が⽣命の起源として,約40億年近い時を経て進化した⼈間も地球の成分によって構成されているわけであり,一致するのもうなずけるのではないでしょうか.また地球が太陽の万有引⼒を受けるように,⼈間も太陽の万有引⼒を受けるわけであり,それに対応できるような⾝体構造になったわけですね.
現在の宇宙物理学や化学から神話的コスモロジーを⾒ると⽭盾するような主張も多々あるが,⼤筋の理論は通っているようにも感じます(太古の人たちはすごい).
ということで,今回は『道文』について私なりの解釈をしてみました!もちろんこれはあくまで私の考えであり,他の方であれば違う解釈をされる場合もあります(そのくらい難しいということなのでしょうが).そこだけご了承ください!
ではでは.今回はここらへんでお暇いたします.