とある合気道の修行者ブログ

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礼儀と挨拶 -令和における武道とは-

こんにちは!

今回はいつもやっている礼儀や挨拶を再び振り返るための記事にいたしましょう!

私たちは日常において他人と出会うと挨拶をしたり,道場に入ると「お願いします!」と礼をします.でも,こんな疑問を持った方もいるかもしれません.「どうして挨拶や礼をしなければならないのか?」と.これに対して明確に答えられるでしょうか?「いや,そういうもんだから!」「とにかく挨拶や礼はちゃんとしろ!」と不明瞭な答えしか返ってこないことだってあるでしょう.

そこで,今一度「礼儀」というものを武道を通して振り返ってみようと思います.

 

ところで,武道とはいつ生まれたものなのか.一説では明治維新以降に武道が生まれたと考えられています.今までの人を制圧するということに加えて,技の稽古を通じて人格を形成することを求めたのです.つまり「道(どう)」として歩み始めた訳ですね.

 

礼については既に古代中国の孔子の時代に研究がされていました.社会というのものは礼を通して平和を形成することができる.つまり君子が国を治めるために礼を用いたという訳です.これは物事の良し悪しを学ぶことでもあるようです.道徳しての礼を教え,社会形成をしていったということですね!

 

私たちが挨拶や礼をする時に,お辞儀をしたり,正座をして頭を下げたりします.これにはどんな意味があるのでしょうか.結論から言ってしまうと.精神的・肉体的に礼を示す訳です.どちらかが欠けている礼儀は成立しません.どれほど相手に思いやりを持っていても,それを態度で示さなければ伝わりませんし,どんなに頭を下げても感情がこもっていなけでは意味がないのです.精神・肉体の2つが組み合わさって,初めて「礼儀」が成立するのです.

 

例えば武道で使われる技が乱暴に用いられたとしましょう.技の中には人を殺傷するようなものもあります.それを見境なく振るったのであれば,武道ではなくただの暴力になってしまいます.稽古や作法をしっかり学び,相手を敬う・思いやるという精神がなければ適切に扱うことができないのですね.

 

武道は礼にはじまって礼におわる』.有名な言葉です.この言葉の中に今までの内容がギュッと凝縮されています.凝縮されているからこそ,私たちは本質をつい忘れがちです.形だけの礼儀にならないように,今一度見直さなければなりません.

 

武道が始まってから,明治・大正・昭和・平成・令和といくつもの時代を超えてきました.令和はまだ始まったばかりですが,武道をどう捉えるべきなのでしょうか.かつては人と人が命のやり取りをしており,そこで様々な技が創られてきました.少なくとも令和でそのような場面に遭遇する人はいないでしょう.ではなぜ令和において誤ると人を殺傷しかねないような技を稽古しなければならないのか.いくつかの理由が考えられます.

1.我が国の伝統を継承していく

イメージしやすいでしょう.武道は古来からの伝統として,また各道の奥義を何世代にもわたって伝承する.私も我が国の伝統は今後も継承されていくべきだと考えています.時代に即した新たなものを絶えず盛り込みながら伝統を維持していくことには意味があります.

2.逞しく健やかに心身を育て己を鍛錬する

習い事としてお子様を武道に入れたいと考える親御さんなどはこちらにも納得がいくかと思います.つまり1つの技そのものではなく「」を通して心身を鍛えること.稽古によって肉体を育て,また時には怒られ・褒められ育っていく.健やかに成長していく訳ですね.

 

そして私は3つ目の理由に以下を入れたいのです.

3.礼儀作法を身につける

先述をいたしましたが,これは礼儀の仕方を学ぶことだけではありません.相手を尊敬すること・思いやること,まさに社会で生きていくための練習でもある訳です.驕り高ぶっていては武道の精神を学ぶことはできません.尊敬・謙譲を知ることにも,武道をする意義があります.

 

いかがだったでしょうか?当たり前にしているからこそ,なぜ?という疑問をもちもう一度考え直してみる.最近私がやっていることです.今回は礼儀について振り返ってみました.調べる中でも新しい発見があったり,学べるものがたくさんありました.

 

ぜひ稽古場では元気よく挨拶してください!爽やかな精神には健やかな肉体がつくはずです!

 

ではでは.今回はここらへんでお暇いたします.